ご挨拶

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礒野 由希子

- Isono Yukiko -

経歴

2012年MGAにてパーソナルストレッチを学ぶ。大手ストレッチ専門店で約10年間勤務。2019年より日本タイ古式マッサージ協会にてタイ古式の技術を習得し、パーソナルストレッチとタイ古式を組み合わせたボディケアを確立。2020年4月マットピラティス(PHI)コース修了。2021年11月パーソナルストレッチ×タイ古式サロン tONE BY tONE を銀座/新富町にOPEN。


《保有資格》

●NESTA-PFT●NESTAファンクショナルアナトミースペシャリスト●JTTMAアスリートタイ古式マッサージセラピスト●JTTMAマニュアルレジスタンスセラピスト

身体はボロボロ、時代はコロナ
スタートはまさに“ピンチ”


幼少期は引っ越しだらけ

千葉県市川市出身で、5人兄弟の真ん中に生まれました。一番上が兄でその他は全員女子という兄弟構成です。


3歳の頃、父の転勤で香港に引っ越すことになりました。家族7人と飼っていた金魚2匹と一緒にまさに大移動状態です。当時の日本で流行っていたJポップの曲は大人になってから初めて聞き、米米CLUBやチャゲ&飛鳥にハマりました。




クラシックバレエとの出会い

4歳くらいからクラシックバレエを習います。近所のお姉さんがフワフワの衣装を着て踊っているのに目がクギ付けになり「私もやりたい!」と言って通わせてもらうことに。小学校2年生まで皆勤賞でレッスンに通っていました。ただあまり自己表現が得意ではなく、もっと頑張りなさいという先生の視線が痛かったのを今でも覚えています。


8歳で帰国してしばらくの間は、先生に怒られることがつらく、バレエからは遠ざかっていました。けれどやはり身体を作っていくことや踊ることが好きで、19歳で本格的にダンススタジオに通い始めます。専門学校かスタジオに通うか迷ったのですが、たまたま見学に行ったスタジオの先生に感銘を受け入会。週5~6で通っていました。


毎日のようにスタジオに通い練習に明け暮れていたわけですが、その時は“身体をケアする”という概念すら持ち合わせていませんでした。当然ながらケガが増え、身体が思うように動かなくなっていきました。


坐骨神経痛に始まりぎっくり腰、首の寝違えも何度も経験しました。ダンスは一日休むと取り戻すのに三日かかると言われており、回復を待たずしてまた練習に行くという無謀なスケジュール。


今にして思えば、ひたすらにレッスンに通っていたのは、ダンサーになりたいというより身体のことを知りたかったというほうが大きかったと思います。




ダンスの延長からストレッチトレーナーへ

ダンサーとして成し遂げることができないまま、それでも身体を作ることは楽しかったので、アルバイトをしながらスタジオに通っていました。飽きもせずそんな生活を9年くらい続けていたある日、インターネットで見つけた「あなたもストレッチトレーナーになりませんか?」という一文に目が留まります。


今ではストレッチ専門店として最も有名なDr.ストレッチの求人情報でした。「ストレッチトレーナー?なんだそれ?」とちょっと迷いましたが、この先のことに悶々としていた訳だし、とにかく応募してみることに。幸運なことに合格させていただき、ストレッチトレーナーの研修に参加できることになりました。


厳しい研修を終え、現場に立たせてもらいあっという間の3年間。トレーナー感0、当時は身体ガリガリ、決して明るいキャラクターではない私を選んでくれたお客様には感謝の気持ちでいっぱいです。正直、「私には向いてないかも」「もう続けるのしんどい」と限界を感じたこともありましたが、続けてこられたのはお客様が毎週来てくれるから。期待に応えたい一心で続けてきたようなものです。


その後はご縁があって、友人が経営するストレッチサロンへ移籍することになりました。


最後の日、トレーナーとして未熟すぎるほど未熟な私でも泣いてくださるお客様もおり、これまでありがとうと言っていただけました。その方は小さいお子様がおりましたので新天地に足を運んでいただくのは難しく、次のスタッフに引き継いだのですが、こんな経験は初めてだったので今でもよく覚えています。


このことがきっかけで、一度始めたストレッチトレーナーという仕事を絶対に辞めないと心に誓いました。




サロン閉店

友人のストレッチサロンでお世話になり5年くらいたった2019年夏、10月いっぱいでサロンが閉店することを告げられました。店長を務める友人には本当にお疲れ様でしたという気持ちです。ここで働けた5年間はとても学びがあり楽しかったです。


さて、3か月後に職場がなくなることが決定したわけなのでこれからどうしよう、、


この仕事を辞めるという選択肢はなかったので、あらゆる道を探しました。他のサロンに勤める、レンタルサロンを探す、はたまた自分でサロンを始めるなど色々です。当然のごとく個人で銀座の物件を借りられるわけもなく、かと言って他のサロンもレンタルサロンも目ぼしいものがなかなか見つかりませんでした。


いよいよ閉店まで残り1か月と迫ってくると、そのストレスが身体にで始め、首も腰も痛い…それはしんどかったです。一方で幸運な知らせ!なんと友人の紹介で銀座のエステサロンの一画を使ってもいいと言っていただける幸運に恵まれました!今いるサロンから徒歩5分くらいのエステサロンです。こんな幸運があるのかと感謝しながら、次が決まっていないことにめちゃくちゃ焦っていた私はすぐさま「よろしくお願いします!」と返事をしました。


ようやく次の場所を決めることができ、お客様に告知できたのが閉店の2週間前。この2週間はオープンの準備で追われまくり、銀座を施術ベッドやらハンガーやらを持って走り回っていました。




世界が激変

新たに始まったサロンを無事にオープンさせることができた3か月後、ほっと一息つく間もなく世界中を激変させたあのコロナが蔓延します。


銀座は毎日のようにニュースで取り上げられ、嘘のように銀座から人が消えました。本当に誰もいません。まさか生きているうちに「緊急事態宣言」を経験するとは思ってもいなかったです。休業要請が解けてからも多少の影響はありましたが、ありがたいことに応援してくださるお客様に支えられながら細々と営業を続けさせてもらえました。




タイ古式マッサージはすごかった

コロナで時間に余裕ができた私は、このチャンスに以前から興味があったタイ古式マッサージの講座の受講を検討します。


この先どうなるか分からない状況の中で新たな技術を身に着ける必要性があるのか、そもそもこの仕事を続けていけるのかすらわかりませんでしたが、いま来てくださっているお客様がいる限り技術や知識をブラッシュアップしていきたいという思いで講座に申し込みました。


結果的に受けて大大大正解!ダンスで蓄積したケガの残りがスルスルと改善していき、慢性的に痛かった左首の痛みがなくなったのです!


おまけに、自分では気付いていない身体の不具合が山ほどあることにも気付きました。私のダンス経験の中には圧倒的にケアが足りていなかった。ケアの重要性をまざまざと思い知らされた講座期間でした。




トーンバイトーンへ

今のサロンtONE BY tONEはこのような経験を経てたどり着いた場所になります。これまでの経験のどれが欠けても実現しなかったと思うと、すべての事が必要だったんだろうと感じます。


気が付けばストレッチトレーナーとして活動を始めてから12年が経過し、ストレッチのスの字も知らなかった私が、パーソナルストレッチとタイ古式を組み合わせた施術がご提供できるサロンを自分で作りたいと思うまでにこの仕事が好きになっていました。


これまでの経験を詰め込んだストレッチサロントーンバイトーンはこれからも成長を続け、皆さまの健康の一助となれれば幸いです。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。